江戸川乱歩再発見

江戸川乱歩の本を読み返して、いろいろ考える。

江戸川乱歩の美女シリーズ「宝石の美女」を観る

「白髪鬼」。金田一少年の事件簿「天草財宝伝説殺人事件」に出てくる怪人ではありません。乱歩作品としては一風変わっている原作『白髪鬼』は、マリー・コレリ『ヴェンデッタ』の黒岩涙香による翻案を乱歩が再翻案として書き直すというちょっと込み入った経緯で書かれました。『ヴェンデッタ』で大牟田敏清に相当するのはファビオ・ロマニ伯爵ですが、黒岩はこれを波漂羅馬内(はぴよ・ろまない)伯爵として自身による翻案『白髪鬼』に登場させています。海野十三が創造した名探偵・帆村荘六シャーロック・ホームズのもじりであることは推理小説マニアの間ではよく知られていますが、波漂羅馬内はすごい。まずどこまでが苗字でどこからが名前なのかもよくわからないばかりか、当て字というにもいささか無理があります。改めてエドガー・アラン・ポオをもじって江戸川乱歩という筆名を自らにつけた平井太郎の秀逸なセンスに感銘を受けざるを得ません。

さて、「宝石の美女」ですが、墓から蘇って復讐に命を懸ける大牟田敏清=里見を田村高廣が演じます。すでに半分は鬼籍に入ってしまっている田村四兄弟、うち俳優として知られているのは長男・高廣、三男・正和、四男・亮の三兄弟ですが、田村高廣演じる大牟田=里見はさすがの迫力です。まぎらわしいので、便宜的にルリ子の前で正体を明かすまでは「里見」と形容することにしますが、自分を死に追いやったルリ子たちへの憎悪を煮えたぎらせながら、どこか復讐を楽しんでいるかのような大牟田を演じきれる役者はなかなかいないでしょう。「浴室の美女」での玉村善太郎役がなぜか不思議なくらい棒演技だった佐野周二が里見役に起用されなくて本当によかったと失礼ながら思ってしまいます。ベテランのはずなのに佐野周二はなぜあんなに棒読みだったのでしょうか、本当に不思議です。地下室で復讐の再現VTRを見せられてもさっぱり怖がっている感じが伝わってこないので、復讐という大事業に50年の月日をつぎ込んでいた奥村源造の努力もあれでは報われません。

冒頭、宝石泥棒の西岡五郎の脱獄から「宝石の美女」は始まります。子分に車を用意させておいて、子分を射殺して車を奪う西岡、のっけから凶悪犯ぶりが目立ちます。西岡は宝石を、洞窟のような大牟田家の墓地の棺桶に隠しておいたのですが、隠し場所に行ってみたらあら残念、棺桶の中には宝石が影も形もありません。西岡が棺桶の傍に落ちていた手紙で呼び出されて行ってみると、待っていたのは里見。西岡は宝石を取り返すべく里見を脅し上げますが、里見は「宝石の半分は換金して使ってしまったが、もう半分は残っている。しかし、自分を殺せば宝石の在り処はわからなくなる」と凶悪犯を前にしても余裕綽々。太平洋戦争終戦時の鈴木貫太郎首相は侍従長の頃に二・二六事件で襲撃されて生死の境を彷徨い、昭和天皇に乞われて大命降下すると「どうせ一度死んだ身だから」と自らの命を捧げるつもりで終戦内閣の首班を受けた、というエピソードを本で読んだことがありますが、里見も一度死んでいるだけに西岡のようなチンピラを露ほども恐れる様子はなく、落ち着きはらっています。宝石を返す代わりに自分の仕事を手伝うよう西岡に要求する里見。怪しい匂いがプンプンします。におう、におうぞ~by波越。

宝石泥棒の西岡を抱き込み、着々と計画を進める里見が復讐の矛先を向ける最大のターゲット・大牟田ルリ子役の金沢碧は、原作は『影男』と言いながらまるで原型をとどめていない問題作「鏡地獄の美女」でも夫を亡くして悲嘆にくれる妻・速水美与子を演じていますが、本作では速水美与子とは対照的に悪妻ぶりが際立ちます。ルリ子は夫・敏清殺しの共犯者である画家の川村ですらドン引きするほど欲が深く、里見から宝石はルリ子に、絵は川村に渡すと言われると「いやよ!この絵はみんなわたくしのもの…絶対にいやよ!」と、物陰で川村が聞いているとも知らずに物欲全開でいやよいやよと駄々をこねる始末。俺はこんな女と結婚した挙句殺されてしまったのかと、筆者が里見=大牟田敏清だったらその場で即、ルリ子を殺して自分も死にたくなったことでしょう。しかし、里見は年の功からか余裕のようで、ルリ子をジワジワ追い詰めて殺すべく準備を着々と進めていきます。里見の手口は周囲も、当のルリ子ですらも驚くほどのプレゼント攻勢で、金に糸目をつけません。里見の復讐は西岡が隠していた莫大な宝石がなければ成立しなかったわけですから、出所は盗品とはいえ里見は西岡に足を向けて寝られません。

西岡を追ってやってくる波越警部と、毎度のことながら手伝わされる羽目になっている明智小五郎。波越は仕事だからともかく、明智に安息の地はないのでしょうか。西岡の追跡に躍起になっている警察を後目に、里見の復讐計画は少しずつ動き出していきます。現在の大牟田邸にはルリ子、画家の川村、ルリ子の妹のトヨ子が暮らしており、案の定と言うべきか、彼らの周囲では死んだはずの大牟田敏清の声が屋敷内で聞こえたり、屋敷の内外を白髪の男が徘徊したり、大牟田敏清の肖像画に白墨でロックンローラーのような逆立った白髪の落書きが施されたりと怪事件が頻発。脛にばっちり傷を持つ身であるルリ子らは、大牟田敏清を彷彿とさせる怪現象に早くも震え上がっています。おまけに彼らの前に里見が現れ、生前の大牟田と同じ癖である、紐を手に持ってぶんぶん振り回す仕草をこれ見よがしにしてみせるわ、大牟田の所有物を里見がルリ子にプレゼントしてくるわ、これでもかとばかりに大牟田の幻影をフラッシュバックさせてきます。当の里見は「亡くなられたご主人と同じ癖を持っているなんて、これはもう他人とは思えません」などと無理筋の理屈でルリ子を口説きにかかりますが、うまくすれば里見の財産もガッポリとなりそうなルリ子はともかく、死んだはずの大牟田敏清の影に散々脅えさせられたうえ、ルリ子にも捨てられて貧乏生活を強いられそうな売れない画家の川村は気が気ではありません。青島幸男にちょっと似ている小坂一也の小悪党的なビビリっぷりもなかなかの好演です。

前述のようにルリ子の恐ろしいまでの金目の物への執着心は共犯者の川村をもドン引きさせるレベルで重症なのですが、川村としても相応のリスクを背負って大牟田殺害を決行したのだし、しかも殺害方法からしてルリ子が崖に大牟田を呼び寄せて川村が後ろから突き落とすというものなので、実行犯である川村はある意味ルリ子より重罪と言えます。その川村はルリ子と大牟田家の財産を両方手に入れるという一挙両得を狙っていたわけで、そのルリ子が里見になびいてしまえば、ルリ子も財産も手に入らないばかりか、大牟田の亡霊に脅えるだけの、奈落の底のような人生に突き落とされる羽目にすらなりかねないので、必死になるのも頷けます。ならばルリ子は里見にくれてやって、トヨ子と結婚して大牟田家の財産と里見の資産を両方ふんだくる戦略にシフトすればいいんじゃないかとも思いますが、川村にそこまでの狡猾さはなさそうですし、そんなことを考える暇もなく、大牟田邸に現れた白髪の男を追いかけていったトヨ子は扼殺され、ひん剥かれて死体は逆さ吊りで晒しものにされてしまいます。乳首も丸出しで可哀想に。

さて、実は大牟田殺害には現地の女医・住田洋子も関与していました。大牟田の死が単なる事故であるということに疑いを持っている口ぶりの住田医師ですが、ルリ子たちに懇願され、病院への出資と引き換えにルリ子たちにとって都合のいい死亡診断書を書いてあげます。住田にしてみれば自分の病院のためになるならば多少の悪事には目をつぶろうという清濁併せ吞む気だったのかも知れませんが、これが祟り、車の中で里見に襲われて殺害されてしまいます。演じる奈美悦子は「魅せられた美女」でも入浴中に殺害されるバーのマダムを演じており、二度も大した罪があるわけではないにもかかわらず殺されてしまいます。うっかり悪事の片棒など担ぐものではありません。

ここで宝石泥棒の西岡という存在が活きてきます。西岡は里見に頼まれ、里見が犯行に及んでいる間はホテルの部屋にいて、わざわざルームサービスを何度も頼んだりして部屋にいることを印象付け、里見のアリバイを強調します。里見は顔の半分を覆う醜い傷跡を隠すためにいつもサングラスをかけているので、替え玉でもバレにくいという心理的なトリック。明智はこのトリックを、ホテルマンから「里見様は急にお食事が進むようになりました」という証言を得たことで、里見の部屋には里見以外の誰かがいて、それがアリバイトリックの鍵を握っているのではないかと推理しますが、ここで登場するホテルマンコンビの片割れは、後に「黄金仮面Ⅱ 桜の国の美女」でピアニストの佐伯清二役を演じる宅麻伸こと詫摩繁春。この頃はちょっと棒演技で初々しいです。ちなみに同じく天知茂一家と言っていい、「大時計の美女」で岩淵甚助を演じる岡部正純も大牟田邸に里見を案内する不動産屋役として登場しています。

トヨ子と住田を始末した里見の次なるターゲットは川村。前述のように、里見は一旦は名画の数々をルリ子に渡すと言ったものの、ルリ子から川村が一生食べていけるようにしてあげてほしいと頼まれると、では絵をすべて川村に贈ろうと言い出します。川村は陰でこのやり取りを聞いているのですが、ルリ子がこれには猛反対。宝石も絵も全部欲しいとごねるルリ子に川村はドン引きしますが、その後里見を訪ね、絵をすべて僕にくれと要求します。ルリ子の猛反対で里見の気が変わる前に絵を手に入れてしまおうという川村もなかなかの図々しさですが、待っていましたとばかりに川村を地下室へ案内する里見。「絵などどこにもないじゃないか」と訝る川村を椅子に座らせると、その椅子は拘束具がついており、川村は縛られてしまいます。それまでの丁寧さをかなぐり捨てて、椅子を乱暴に足で蹴飛ばしながら、里見はサングラスを外して自らの正体、つまり自分は川村によって殺害された大牟田敏清であることを明かすと、命懸けでの棺桶からの脱出劇を語って聞かせます。大牟田の髪がなぜ真っ白になってしまったのかもこの時に明かされます。ルリ子を諦める代わりに絵を寄越せという強硬姿勢はどこへやら、大牟田に「絵の具すら買えないお前をあんなに可愛がってやったのに」と貧乏ぶりをディスられ、必死に謝罪して命乞いをする川村はドサクサにまぎれて全部ルリ子のせいにしようとしていますが、里見の復讐計画はいまさら止められるわけもありません。地下室に仕掛けられていた、壁が徐々にせり出してくるとともに飾ってある鹿?の剥製の角が自分の胸めがけて迫ってくるという、ターゲットの恐怖心を極限まで煽る時限装置により、川村は胸を一突きにされて絶命してしまうのですが、ひたすら許しを請う川村を前にしても「苦しめ!もっと苦しめ!ハッハッハッハッ…!」と一向に意に介さず、死が迫る川村の絶望的な悲鳴を聞きながら悠々と地下室を出ていく里見。さすがは復讐の鬼、白髪鬼です。

そして、里見は用済みになった西岡も始末。わざと残飯を漁っている姿を地元住民に目撃させて洞窟へ逃げ込み、予め洞窟内で縊死体となっている西岡を、明智や波越警部ら警官隊に発見させます。わざわざ、洞窟への突入時に「明智さん、何かあったんですか?」と居合わせるのが小憎らしい。波越はあっさり西岡の死を自殺と断定してしまっているようですが、さすがに明智は腑に落ちていないようです。どう考えても西岡は易々と自殺するようなタイプの悪党ではないのですから、これは腑に落ちる方がどうかしていると言うしかありません。

クライマックスは、里見によるルリ子の処刑。相変わらず金目の物を餌に里見はルリ子を大牟田家の墓へ連れていきます。さすがに「こんなところに…?」とルリ子も疑っていますが、それでも墓には入ってしまう辺り、この女の欲深さは筋金入りと言うしかありません。墓に入るやいなや乱暴にルリ子を突き飛ばした里見は、とうとう自分の正体を明かします。さしもの悪妻・大牟田ルリ子も生きた心地がしなかったでしょうが、リアルに生きた心地がしなくなるのはこれからです。棺桶の中で蘇生した大牟田敏清が、息苦しさと死の恐怖に苛まれながら命からがら脱出したという話を聞かされた後に、ルリ子は大牟田によって棺桶に閉じ込められてしまいます。蓋をして、釘を打ってしまわないのは詰めが甘いと思わないでもないですが、大牟田としては蓋に釘を打ってしまうよりも、棺桶の上に乗っかって、出して出してと棺桶の中で暴れるルリ子の最期の抵抗を物理的に体感する方がより復讐心が満たされると考えたのかも知れません。復讐というものはこうでなくてはいけませんね。

そこへ明智や波越らが突入してきますが、すでにルリ子を棺桶に閉じ込めて復讐を遂げた大牟田は逃げも隠れもせず、ピストルを取り出して自らの胸を撃ち抜いて自殺してしまいます。明智が自殺を食い止められないのは美女シリーズのお約束で、いつものことではあるのですが、この場合は止めない方が大牟田のためだったでしょう。一度はルリ子と川村の手で殺されながら棺桶の中で蘇生し、命懸けで脱出して復讐を果たした大牟田に司法の裁きが意味をなすでしょうか。原作『白髪鬼』は獄中にいる大牟田敏清の独白という形で書かれていますが、「宝石の美女」の大牟田の死はある意味、原作よりも秀逸と言えましょう。さらにさらに、大牟田の復讐の精華と言うべきルリ子の末路が、ルリ子が棺桶に閉じ込められていることに気づいた明智らによって開花します。棺桶に閉じ込められていたルリ子はどうにか生きたまま救い出されるものの、棺桶に閉じ込められている間に発狂し、石ころを宝石と見間違えて、必死で拾い集める哀れな姿に堕してしまいました。顔は美しいのに行動は異常極まるという、この金沢碧の狂態は田村高廣の憎悪に燃える演技に負けず劣らず素晴らしい。この「宝石の美女」だけは、田村高廣と金沢碧の演技の素晴らしさのお陰で江戸川乱歩の原作すら超えたのではないかと言っても決して過言ではありますまい。

前述のように原作『白髪鬼』は大牟田敏清が獄中で身の上を語るという体裁で書かれており、当然のことながら明智小五郎も登場しないので、「宝石の美女」の明智はいつもより影が薄めです。本作はさしずめ大牟田敏清と大牟田ルリ子のダブル主演、明智は三番手くらいと言ってよいでしょう。小生は勝手に、この「宝石の美女」を美女シリーズ全25作中ピカイチの出来として推します。明智の影がいつもより薄い作品が、明智小五郎が主役のシリーズのベストというのはどうにも皮肉ではあるのですが。

本作のみどころ:復讐に燃える白髪鬼・田村高廣と欲深き悪妻・金沢碧の素晴らしすぎる演技