江戸川乱歩再発見

江戸川乱歩の本を読み返して、いろいろ考える。

江戸川乱歩の思い出

これから、江戸川乱歩の作品を全部読んで、作品ごとに感想をこのブログで書いていきますが、初回は感想や書評の類いではなく、乱歩の思い出をつらつらと書いておきたいと思います。

そもそも、立教大学社会学部の出身である小生の父の指導教官が、江戸川乱歩こと平井太郎氏のご子息であり、立教大の総長も務められた平井隆太郎氏である、という縁もあるのですが、実際に乱歩作品を初めて読んだのは、父に勧められたというわけではなく、学校の図書室に所蔵のポプラ社版を手に取ったことが始まりでした。確か、最初は『鉄人Q』だったと思います。まだ、リニューアルされる前の版で、お読みになった方は分かると思いますが、独特の挿絵です。クラスメイトから「表紙の絵が変な本がある」と言われて手に取ったのが、『鉄人Q』でした。そのまま、少年探偵団シリーズを読んでいくわけですが、当時のポプラ社版には、乱歩が大人向けに書いた作品を、氷川瓏・武田武彦がリライトした、言わば「偽ジュブナイル」というべき作品群も含まれていました。青銅の魔人やら夜光怪人やら、奇妙奇天烈な怪盗が東京中を席捲していても「どうせこの正体も二十面相なんでしょ」とやや辟易し始めていた頃、いきなり『蜘蛛男』を読んで、ぶったまげたのを覚えています。「蜘蛛男の正体って二十面相じゃないの?血が嫌いなはずなのに何でいきなり女性を殺すの?」と驚きましたが、後になって、このシリーズは途中から、大人向けに書かれた作品を手直ししたものだと知りました(よく読めば、まえがきにちゃんと書いてあるのですが。乱歩自身が手直ししましたよ、という態で)。今、改めて読み返してみると、メインの読者層である少年少女の混乱を避けるためか、小林芳雄と混同しないように『一寸法師』の小林紋三をわざわざ「清水紋三」とするなど、代作者の妙な気配りも感じられるところですが、その反面、『恐怖の魔人王』のように『恐怖王』の欠点が何ら補強されず、ミステリーとしては難点が残ったまま、という珍作?もあります(これはこれで、味があるのですが)。

さて、小学生だった小生はこれ以後、松本清張や西村京太郎を読んだりして、若干乱歩から外れていくのですが、ひょんなことから立教大学文学部に入学し、1年次で、当時立教大学文学部教授だった藤井淑禎氏の「乱歩再発見」という講義を受講しました。藤井先生は2015年に退官され、2021年、勉誠出版から刊行された『江戸川乱歩大事典』の編者として、現在も文学研究に関わっておられますが、「乱歩再発見」での乱歩と谷崎潤一郎との比較や、乱歩作品に描かれた当時の東京の世相や社会的な背景に着目する、いわゆる同時代研究といわれる手法に、非常に関心を持ちました。実は、小生は藤井先生が所属されていた文学科日本文学専修の学生ではなく、1年次の時点では文学部の別の学科の学生だったのですが、関心が高じて、3年次に文学科日本文学専修に転科したほどです。「乱歩再発見」での評価は最上級のSを貰ったのですが、そのことを転科の際の口頭試問(いわゆる面接)で述べたところ、面接官だった加藤睦教授から「藤井先生の授業でSを勝ち取ったというのはなかなかのもの」と褒められたのを今でもよく覚えています。こうして無事に日本文学専修へ転籍し、3年次には卒業論文の前段階とされる「研究小論文」を執筆するうえで、藤井先生にご指導いただき、その時は乱歩作品のうち、翻案である『緑衣の鬼』や『三角館の恐怖』について論じました(惜しくも、SではなくA評価でしたが)。

せっかく立教大が旧乱歩邸を土蔵も含めて管理しているのだから、大学院に進んで研究を続けるという選択肢もないことはなかったのですが、やはり経済的な面から大学院進学は厳しく、小生はしがないサラリーマンとなりました。相変わらず本は読んでいるのですが、ここらでひとつ、自分の読書の記録をつけてみようと思い立ち、自分にとって最も思い出深い江戸川乱歩の作品について、小論をこつこつ書いてみようと考える次第です。我が家には春陽堂文庫の旧版が全冊揃っているため、基本的には春闘堂文庫の刊行順で、感想を書いていきたいと思います。行く行くは、代作の『蠢く触手』や、小生の思い出のシリーズであるポプラ社旧版の「偽ジュブナイル」にも言及していければと考えていますので、気長にお付き合い下さい。