江戸川乱歩再発見

江戸川乱歩の本を読み返して、いろいろ考える。

江戸川乱歩の美女シリーズ「赤いさそりの美女」を観る

サソリです、サソリ。実物はそんなに赤くない場合が多いですが、あのシルエットがちょっと不気味なんですよね。不気味さのせいか、ミステリで取り上げられることも多く、金田一少年の事件簿でも『銀幕の殺人鬼』で「サソリ座の惨劇」という高校生の自主制作映画をモティーフにした見立て殺人が描かれています。あと「どうぶつの森」でサソリに刺されると気絶して家の前に戻されるのがちょっとイラッとします。

閑話休題。「赤いさそりの美女」の原作は『妖虫』で、これも骨格は原作に比較的忠実なのですが、動機の面がかなり改変されています。これはある意味当然のことで、原作では家庭教師の殿村京子が自らの容貌の醜さゆえに嫉妬心から若く美しい女性を惨殺していくわけですが、「赤いさそりの美女」では殿村役に宇津宮雅代を起用しているので、さすがに原作のまま、宇津宮雅代に当てはめるわけにはいかなかったのでしょう。とはいえ、宇津宮雅代は結婚・離婚歴が二度あり、最初の夫は西岡徳馬、次の夫は故・三浦洋一、どちらもあまり幸せな結婚生活とはならなかったようです。確かに殿村役の宇津宮雅代を観ていると、美貌の中にどこか陰を背負っているかのような印象を受けますね。ちなみに三浦洋一宇津井健主演の「さすらい刑事 旅情編」に出演していて、再放送をよく観ていた記憶があります。妹思いの刑事役だったような気がしますが、実物は少し違っており、宇津宮雅代との離婚も三浦洋一の暴力が原因だったという話もあるようです。

さて、「赤いさそりの美女」は前述のように動機面が大幅に改変されているものの、殿村が読唇術で犯行を察知する(まぁ、これは自作自演のお芝居なのですが)という振り出しは原作に沿っています。物騒な独り言をつぶやく怪しい男と、映画の撮影中にもかかわらず慌てふためいて、そのまま帰ってしまう「燃える女」の出演者・吉野圭一郎。その夜、主演女優の春川月子とともに空き家で惨殺され、殿村と相川守たちがそれを目撃するという、ここはなかなか工夫して原作にあわせていると言えましょう。しかし、ただ原作を踏襲するだけでなく、なぜか現場に小銭が落ちているという謎を追加してきました。美女シリーズ制作陣、なかなか遊んでいますね。

さらなる遊びが見られるのは、捜査に加わった明智小五郎の偽者が登場し、本物の明智や殿村京子を監禁してしまう場面。偽者の明智がどうやって深夜の明智探偵事務所に侵入したのか、どうやって事務所が入るビルの地下室に明智たちを監禁できたのか、謎は深まるばかりですが、明智の顔をしているのに邪悪さを見せる偽明智を演じる天知茂の振る舞いは見事としか言い様がありません。ブレイクするまでは悪役俳優で、自身は不満を持っていたという天知茂ですが、正義の味方しかできないわけではない演技の幅の広さを改めて感じさせてくれます。改めて、54歳での夭逝が惜しまれてなりません。

そして、犯人に斧で襲われて負傷し、入院した明智の病室を宇津宮雅代演じる殿村が訪れて甲斐甲斐しく世話を焼き、アゴで使われることに文代がヘソを曲げてしまうという小憎らしい場面も用意されています。確かに、急に乱入してきた女に果物を切るよう言われれば、文代だって怒るのも当然です。明智先生、いつまでも文代さんを弄んでないで、文代さんの気持ちに応えてあげて下さい。

もともと「燃える女」の主演は春川月子、相川守の姉である相川珠子、守の婚約者の櫻井品子と、モブ2名の計5名で争われていたわけですが、映画の主演をめざしたばかりに惨殺されてしまうのだから、あまりにも代償が大きすぎるというものです。しかも、彼女たちに非があるわけではなく、どちらかと言えば非があるのは殿村の元夫である吉野圭一郎の方なので、彼女たちは完全なる巻き添えでしかなく、この辺りは少し動機に無理があると言わざるを得ません。殿村の本名は匹田富美といい、新婚旅行で体にサソリの形をした痣があることを夫の吉野に知られ、そのために吉野に捨てられたことが動機の根底にあるわけですが、原作と異なる動機を用意しなければならないという事情があったとはいえ、無理筋の動機を設定しなければならなかった美女シリーズ制作陣の苦労がしのばれます。ちなみに、犯行現場に落ちていた230円分の小銭は「富美(23)」を意味しています。なぜ23円ではダメなのかと突っ込んではいけません。たまたま手持ちがなかったのでしょう、きっと。

中盤から殿村の実父・匹田博士も登場。演じる入川保則は「五重塔の美女」にも登場しますが、本作では顔に火傷の跡が残る、いかにも怪しげな存在として描かれます。警察は、サソリなど危険な虫を飼育する匹田博士の研究所によく出入りしている男は博士の助手の狩野五郎であり、この狩野が一連の事件の犯人であると疑いますが、実は匹田博士はすでに死亡しており、博士は狩野の変装。研究所によく出入りしていた男というのは、実は殿村、つまり匹田富美の男装でした。冒頭の春川月子と吉野圭一郎が空き家で惨殺される際、相川守らとともに殿村も犯行を目撃できたのは、匹田博士に変装している助手の狩野が殿村の共犯者だったために可能だったというわけです。

さて、匹田博士の研究所で犯行を暴かれると、殿村こと匹田富美は観念して、自殺してしまいます。前作「悪魔のような美女」、前々作「宝石の美女」に続いて、またしても自殺です。明智先生、ちょっと手落ちが多すぎるのではないでしょうか。というか、最後は自殺という結末のつけ方に美女シリーズ制作陣が味をしめてしまったかのような印象さえ覚えます。

原作『妖虫』は明智小五郎が登場せず、老探偵・三笠竜介が言わば代わりを務めます。ポプラ社版のジュブナイル『赤い妖虫』では探偵役が明智に書き換えられていますが、三笠のセリフをそのまま明智に置き換えているので、若干の違和感があります。が、何よりも鮮烈な印象を残したのは、ポプラ社版特有のちょっと独特な挿絵。原作では、自らの容貌が醜いだけでなく、生んだ子に障碍があり、いわゆる小人症だったというのがトリックの肝の一つになっています。その子の挿絵が何とも不気味なので、是非図書館で探してみて下さい。現代では障碍者をトリックに使うなど、まず許されないご時世、江戸川乱歩見世物小屋好きが凝縮されています。そんな原作に比して、「赤いさそりの美女」はやや、インパクトに欠けると言わざるを得ないでしょう。動機面の不自然さといい、美女シリーズも9作目を数えてちょっと息切れしてきたのかな、と心配になる1作です。

本作のみどころ:押しかけ女房のような殿村京子にアゴで使われて怒る文代のイライラ