江戸川乱歩再発見

江戸川乱歩の本を読み返して、いろいろ考える。

江戸川乱歩の美女シリーズ「黒水仙の美女」を観る

屋敷の中を、庭を、バク転しながら飛び回るコウモリのような怪人物。ウフフフフフ、エヘヘヘヘヘ…という笑い声が不気味です。今回の舞台は彫刻家、伊志田鉄造の屋敷。伊志田はグロテスクな彫刻ばかりを生み出しており、個展でその彫刻の口から血が滴り落ちます。すわ伊志田家を呪う犯人の仕業か…!?と思いきや、奔放な娘のイタズラ。まぎらわしいことを。

ようやく美女シリーズの定型が固まってきたと言っていい「黒水仙の美女」。メインゲストは伊志田鉄造の長女・待子役のジュディ・オングのようですが、伊志田待子よりも江波杏子扮する看護婦の三重野早苗の方がなんだか目立っている印象です。晩年の、野際陽子にも通ずる気風のよい老婦人のイメージが強いですが、お若い頃はまさに美女。でも気は強そうです。

伊志田鉄造役は岡田英次。「エマニエルの美女」では弟子に代作をさせながら推理小説の大家ということになっている大河原義明役、原作『影男』とは言いながら登場人物の名前以外にその痕跡がほとんど見当たらない「鏡地獄の美女」では宝石商の毛利幾造役と自業自得ながら酷い目に遭わされる役柄ばかりです。大河原はご自慢のコレクションのギロチンで首を刎ねられ、毛利は台に縛り付けられて電動ノコギリで切断される寸前で助け出されるも実は毒を飲まされていて最後は殺されてしまうので、どうにか殺されずに生き残る「黒水仙の美女」での扱いがシリーズ中では最もマシと言えそうです。

もう1人、強烈なインパクトを与えるのは伊志田家の離れに住み、いつも伊志田家を呪う儀式に勤しんでいる伊志田たみ(原泉)。たみさんは伊志田鉄造の亡き先妻・静子の母親で、このバアさんが儀式を行っている時のBGMはおどろおどろしさを際立たせていて好きですね。登場する場面は呪いの儀式中か寝ているかのどちらかで、全盛期の創価学会員よりも勤行に熱心なのではないかと思わせてくれるレベルです。なお、後述の北公次の葬儀は創価学会員による友人葬だったとか。たみさんが儀式を始めると静子の幽霊が御簾の向こうに現れ、たみさん曰くその幽霊が伊志田家の人間を殺して回っているそうですが、実はその幽霊は御簾の陰に設置されているスクリーンに映し出されたもの。当然たみさんの呪いの儀式に効果などあるはずもなかったのです。死に瀕して、自分の呪いの儀式に何ら効果がないことを真犯人の手で知らされる羽目になったたみさんの胸中を慮らずにはいられません。

さて、伊志田の個展で彫像から血が流れる一件を見ていた明智はその後、伊志田の長女・待子から「悪魔のような黒い影」の話を聞かされ、一度は「ご兄妹のイタズラでしょう」と一笑に付しますが、その夜悪魔の笑い声を待子から電話越しに聞かされ、慌てて伊志田邸へ急行。待子は黒い影に首を絞められて気を失っており、看護婦の三重野早苗に出迎えられます。逃げ惑う待子は「早苗さん!」と助けを求めていましたが、黒い影の正体は早苗なので助けに現れるはずもありません。そして明智自身も庭の木から木へと飛び移り、バック転で逃亡する黒い影を目撃し、結局見失いますが、離れで儀式中のたみさんに出会い、「他人がこの忌まわしい呪いの家に関わらん方がいいぞ」と警告されます。しかし、明智は幽霊に興味を持ったのか、単にジュディ・オングに惚れたのか、伊志田邸への泊まり込みを決めます。いつもながら文代は「先生、美人に弱いんだから」と不満を漏らしますが、波越警部から「その点君なら大丈夫だ」と余計なことを言われ、鬼の形相で波越の煙草を箱から一本ずつ抜き取って投げつけるにもかかわらず、「お、おれなんか言った?」とまるで無自覚の波越。捜査能力が皆無であるだけでなく、デリカシーもなさすぎです。五十嵐めぐみだって立派な美人だぞ。

荷ほどきをする明智の前にチープな悪魔の仮面をつけて現れたのは伊志田の長男・太郎。原作では一郎なのですが、なぜか変えられています。伊志田家の屋敷をぶっ壊してマンションを建てたいのだが親父は全然理解がない、僕は実業家になりたいのだと明智に語りますが、太郎役の北公次、かなり棒読みです。Wikipediaを見る限りかなりスキャンダラスな生涯を送っていたようで、最初期のジャニーズにいたんですね。ステージでバク転を披露した初のアイドルなのだそうで、悪魔の黒い影の正体をミスリードするために起用されたのではないでしょうか。キャスティングで視聴者を騙そうしたのだとすると、これはなかなかにメタ的な手法ですが、美女シリーズ制作陣がそこまで考えていたのかはわかりません。明智はこの後もたみに「お前の顔にも星が見えるぞ、真っ黒な死の星が!」と遠回しな死刑宣告を受け、伊志田家の財産を独り占めしたい次女・悦子からは「あたしと組まない?」と家族皆殺し計画への協力を持ちかけられ、しまいには黒い影を追うのに夢中になるあまり、足元に張られた糸を切るとピストルが発射される仕掛けにまんまとはまってしまい、左肩を撃たれて入院する羽目になってしまいます。ここまでは精彩を欠くばかりで、見せ場らしい見せ場はほとんどありません。頑張れ明智

そんな名探偵を嘲笑うかのように、明智が負傷して伊志田家からいなくなるやいなや、怒涛のごとく黒い影による犯行は加速。体の弱い三女の鞠子を部屋から連れ去り、その際に付き添っていた看護婦の早苗にも刃物で傷を負わせますが、黒い影の正体は早苗なので、これは「何者」をはじめとする乱歩作品ではお決まりの自作自演。鞠子の死体は時計台から首吊り死体となってぶら下げられ、晒しものにされてしまいます。病気に苦しみ、早苗に何度も自分を殺すよう訴えていたという鞠子の短い生涯がこんな殺され方で幕を下ろそうとは、同情を禁じ得ません。その後、鞠子の死体は部屋に安置され、鉄造の後妻で鞠子の母でもある君代がしばらく付き添っていましたが、その間に部屋の外ではまたもや狡猾な仕掛けが。君代が部屋を出た途端、ドアノブに引っ掛けられた糸が引き金を引いてボウガンから矢が発射され、君代は正面から心臓を貫かれて死んでしまいます。すでに鞠子殺しの通報を受けて波越警部ら警官隊が到着し、事情聴取が行われている最中にこの仕掛けをしたということになりますが、早苗にいつそんな細工をする時間があったと言うのでしょうか。曲がりなりにも容疑者なのですから、監視付きでもおかしくないのですが、まぁ捜査を率いるのは警視庁きっての無能こと波越警部なので、容疑者を野放しにしていたとしても何の不思議もありません。よく降格されないなと警視庁の情けの深さに涙が出てきます。

明智の怪我は快方に向かいますが、黒い影の暗躍はもう止められません。明智に代わって文代が伊志田邸を見張りますが、ここで、夜な夜な待子らしき女が時計塔から懐中電灯で怪しげな合図を送っていたという序盤で出てきたエピソードを視聴者は思い出させられます。その合図に応えるかのように、庭から懐中電灯で合図を送り返していた男が黒い影にハサミで刺殺されてしまうのです。ダイイング・メッセージは「まちこ…さん…」。この男は学生で、どうやら待子と恋仲だったようなのですが、アパートの部屋を調べに行った文代は、部屋から逃げようとする次女・悦子と遭遇。伊志田家の財産を手に入れるため、行動力にはやたら長けている悦子ですが、次なる犠牲者となってしまいます。

さて、ここまで一度も女の裸が出てきていませんが、遂に登場!泉じゅん演じる悦子がお風呂に入ります。それにしても、美女シリーズに登場する浴室はどうしてカメラで裸を撮影しやすい構造になっているのでしょうか。遮る扉も何もないので脱衣スペースまで水浸しになってしまいそうなのですが、これもすべて女の裸を視聴者に見せてあげるサービスのためと思えば、リアリティを犠牲にする涙ぐましさが感じられるというものです。財産の分け前が増えることに喜びを隠しきれない悦子は湯舟に浸かりながら笑い出しますが、その笑い声にかぶせてくる黒い影。すりガラスの向こうに現れたかと思えば、豪快にガラスを突き破って浴室に侵入してくると、ナイフを振り回して悦子をメッタ刺しにします。いかにも作り物という感じの色合いの血はご愛敬ですが、湯舟は血に染まり、浴室の壁にも豪快に血痕を残して、悦子は浴槽の中で息絶えてしまいます。明智がピストルで撃たれるように仕向けたり、ボウガンの矢で射殺したり、メッタ刺しにしたり、三重野早苗のなみなみならぬ凶暴性と伊志田家への憎悪が表れる犯行スタイルですね。

その三重野早苗、実は伊志田鉄造の先妻・静子の妹で、伊志田家の財産を手に入れられる立場にあったのです。しかし、早苗が財産を相続するためには伊志田鉄造以下伊志田家の面々が全員死んだうえで、尊属にあたるたみに財産を一旦相続させなければなりません。…若干、たみと早苗が親子というのは年齢的に無理がある気がしないでもありませんが、細かいことを気にしていては美女シリーズを観ていられません。早苗の出自がわかったところで、明智は伊志田家の面々を集めて謎解きを開始。さらに早苗に、たみが心臓発作で息を引き取り、早苗の遺産横取り計画は失敗に終わったことを告げます。

犯行を暴かれた早苗は、自分はかつてサーカスに拾われ、空中ブランコ芸のスターだったと語り、なぜかお得意のバク転で屋敷の時計台へ逃走します。この時、サーカス時代のド派手なメイクまで江波杏子自身による再現で映像が流れますが、さすがに年齢的な不自然さは隠しきれません。さらに、時計台から飛び降りようとする早苗が「音楽!」と声を張り上げると、♪チャーラーララー、となぜかそれらしいBGMが入ります。こういうメタ的な手法が唐突に挿入されるのも美女シリーズの魅力と言うべきでしょうか。サーカス時代を思い出しながら勢いよく飛び降り、空中で回転して地面に叩きつけられる早苗。「そこにはサーカスの派手な音楽も観客の拍手もなかった。呪いに満ちた、哀れな女の死であった」という明智のセリフとともにエンドロール。

本作のインパクトは何と言っても、クライマックスの数分、ひたすら早苗のサーカス時代の空中ブランコ芸が彼女の記憶の中でフラッシュバックするところでしょう。「音楽!」のメタ的手法も相俟って、美女シリーズがここへきて新たな地平を開拓したかのようにも映ります。実際の空中ブランコのシーンはスタントマンを使っているとはいえ、ド派手なメイクで踊るシーンを撮影する江波杏子も大変だったことでしょう。時計台から飛び降りて、地面に叩きつけられる早苗の体が明らかにマネキンとわかってしまうのはやや残念ですが、こればかりは仕方ない。

「氷柱の美女」では亡き兄の復讐、「浴室の美女」では父の仇討ち、「死刑台の美女」では父母の仇討ちと、全体的に復讐譚が多い美女シリーズですが、「黒水仙の美女」では復讐を遂げつつ、財産もしっかり頂戴してしまおうという三重野早苗の一石二鳥の伊志田家皆殺し計画が、これまでの復讐とは一風変わった凶悪さを見せてくれています。前作「白い人魚の美女」の芳枝と山崎の財産収奪コンビは完全に夏目財閥の財産目当てという動機なので、復讐と財産の横取りが組み合わされた動機というのは「黒水仙の美女」がシリーズ初です。その意味でも、美女シリーズは決して意味のない原作からの逸脱ばかりではなく、逸脱させるからにはそれなりの理屈をつけることができる脚本によって支えられているということを立証した作品と言えるでしょう。言い換えれば、この頃の原作の改変くらいまでは、まだ正当性もあったということです。

本作のみどころ:伊志田鉄造の気味が悪いだけでどう見ても芸術的ではない彫刻